こんばんは、onorichanです。
誘惑に負けて散歩の途中でミルクティーを飲んでしまい、ただいま微不調。
何をやっているのだ、私は。
最近、天気のいい日を狙って公園へ散歩に出かけることが増えました。
息子が歩き始めの頃は芝生のちくちくに警戒していたのですが、
最近はどんなところでも果敢に攻めていこうとするので中腰で追いかけるこちらはなかなか大変。
そして今は息子の中で葉っぱ集めが流行っているらしく、歩いたそばから葉っぱを拾い拾いして歩くのでなかなか前へ進みません。私にとってはすべてが「葉っぱ」だけれど、息子にとってはきっとひとつひとつが新しい発見。違う存在なのでしょう。
そんな風に世界を見つめることが出来るなんて、子どもってなんてすてきなのだ。
時折石ころを拾い、少し眺めてからゆっくりと口に運ぼうとするので要注意な息子です。
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子どもが産まれてから以降、知らないことが多すぎて人に聞くのも間に合わずついついネット検索に頼ることが多々ありました。
もちろんとても励まされたり役立つ情報を得たりもするので、それが悪いことというわけではないのですが、やはり根拠のないものもどうしても含まれていたり、子どもによって違う、という結果のものもあります。
ありがたいことに私の中学時代、高校時代それぞれの友人たちがここ1,2年の間に母となっていて、時折話す機会があるのですが、そうするとなんとなくネットで見ている子育ての世界と違う世の中が見えてくるような気がしています。
ネットと同じで「そうとは限らない」だとか「根拠がない」といったような内容のものもあるのだとは思いますが、でも、ネットとは何かが違う。
子育てに限らず、例えばマナー一つにしても、ネットの世界と自分の暮らしている世界でもそれを感じることがあります。
友人みんなで贈り物をしようなんていうときに
こういうときってどうすればいいかな、なんて思って調べてみたりすると
「これはマナー違反!」「これをもらうと困る」
なんていう文言をよく見かけたりもするのですが、
実際に友人たちと相談していくと、ネットで見たような「印象の悪い事柄」に触れる結果になったりすることもあります。
でも、決してそれは悪い結果ではないのです。
その何となく感じる違いを自分なりに表現すると、「余白」なのかな。と思うようになりました。
インターネットは切り取られた世界。そこにはない背景や周りの風景を感じることはなかなか難しい。そこに書いたものだけが書き手のすべてとして認識されがちで、実生活ではそれぞれの生活背景などの周りの風景がプラスされる。
生活で言うところの空気感、小説で言うところの行間。とでもいうのでしょうか。
手軽に発信、受信は出来るけれど、
正確に思いや情報を伝達するには書き手には表現力、受け手には読解力や想像力がそれなりに必要なのでしょう。
なんだかネット悪いみたいなブログになってきてしまっていますが、
私自身、ネットを通してすてきな発見をしたり新たな考え方に触れることが出来たり、温かな交流を得たりしているので、 要するに付き合い方の問題。ということですね。
あああ、なんだか書いていてよくわからないことになってきた。
表現力、本当に大事ですね。痛感します。。。
暑くなったり、寒くなったりな日々。みなさん、ご自愛ください。
今日のところはこの辺で。
お読みいただきありがとうございました。